都知事選挙の一本化と民主主義について考える




 一本化に正当性があれば宇都宮氏を支持しなかったかもしれない。二人を1本化して対立候補に勝てるならそれはいいことだ。ところが今回の一本化に正当化できる要素は全くなかった。
 例えば米国の大統領選で行われるように、各党の候補者を一人選ぶために、公開の場で討論を重ね、どちらか一人を選ぶ。こんな簡単なことが行われるどころか、非公開で宇都宮氏を引き摺り下ろそうとした。公開的に行うと宇都宮氏のほうが脱原発に詳しいので、細川のぼろが出て圧倒的に宇都宮氏が勝ってしまうからだろう。元々細川を勝たせたいのに、それでは都合が悪いから非公開を主張した。しかも脅迫するものまでいた。日本国民に与えられた立候補の権利すら奪おうとしている。どう見てもこれが民主主義的なやり方とは思えない。むしろそうした輩は警察に訴えて逮捕させればよかった。

 宇都宮氏は公の場で討論会をやり、どちらがいいか決めましょうと呼びかけた。これは反宇都宮の流れを少し変えた。細川側が一本化の申し入れをしてないと言い出したことも宇都宮側のプラスに働いた。
 細川もりひろは討論会で佐川やオレンジ共済の話を持ち出されるとイメージが悪くなるから、討論会すらできなかったのだろう。しかも佐川問題をなかったことにするために刑務所に入った政治家まで出して弁護させたのは、プラスどころかかなりマイナスだったのではないだろうか。

 結局細川は討論から逃げ回った。TV討論やネット討論は次々にキャンセルされる。挙句の果てに朝まで生TVの討論番組はインタビュー番組に変わった(笑)知名度のある細川からすれば、討論会で佐川急便やオレンジ共済のことを宇都宮氏に批判されたり、脱原発で何も考えていないことを露呈するくらいなら、宇都宮氏をTVなどの討論会から締め出したほうが知名度で有利になると考えたのかもしれない。相手と討論も出来ない人間が本当に原発を止められるのだろうか?佐川急便はなんら事件性がないのにやめた人間が脱原発で戦えるのだろうか?という疑問もあるが、こうした討論会が行われなければ、誰がどういう政策を掲げているのかすらわからない。知る権利という民主主義の根幹すら失われている。こうした知名度有利にしないためにも、告示日前と告示日後にはある程度の討論会を義務付けるべきだろう。出ようが出まいが開くようにすれば出ないから討論会がないなんていうことはない。少なくともNHKと民放各局1回は必要なところ。

 さらに細川側は告示日過ぎてもなんら公約を示さなかった。毎日新聞のえらぼーとを見ると無回答だらけ。これで脱原発で一本化して細川にしてたら、脱原発派が都民を愚弄してるようにしか見えない。公約など全く無視し、ただ人気があるというだけで一本化する。ようするに都民には脱原発という言葉さえ与えておけば、それ以外何も与えなくていいといわんばかり。こんなふざけた話はない。
 しかも後半になると世論調査で脱原発を争点にする人がどんどん減り、細川側は路線変更などと言い出し2月2日には演説の2割しか原発の話をしていなかったという。こうなると脱原発で一本化という話が何だったのかということになる。それでも投票近くになると又一本化と言い出し今度は脱原発と関係ないことまで持ち出した。

 細川側は宇都宮では勝てないが細川なら勝てるというのも根拠がない。たしかに前回大差で負けた宇都宮では勝てないかもしれない。だからといって細川で勝てる保障や根拠がどこにあるのだろう?仮に宇都宮氏が当選しても宇都宮氏では東電に関係する組織などに勝てないという芸能人までいたが、その根拠は全く示されない。むしろ佐川急便事件でやめる必要はなかっただの、刑事事件にするつもりはなかっただのという記事で無実を証明したかのような態度をとっていたが、何の罪もないのにやめた人に脱原発で止められるという根拠のほうが薄いだろうという簡単な図式が成り立つ。しかも国会前の脱原発エリアで細川側はマイクを持たなかった。そのとき宇都宮側がマイクも持たせなかっただのお立ち台にあげなかっただの散々デマが飛んでいた。しかしそれは電力系労組に配慮したという細川側の幹部の話まで出てきた。むしろ細川では脱原発は無理だろうとすら思える根拠が沢山ある。民主党を最初は突っぱねてたが、旗色が悪いのでじきじきにお願いしたというのまである。2030年代までに原発を止めるといってる民主党にお願いするとか、本気で再稼動を反対し原発をゼロにする気があ るのか疑わしいばかりだ。
 又生活の党が推薦している山口県知事選の立候補者は原発再稼動容認派。ますます持って細川側の意図が原発ゼロや再稼動させないから遠ざかっている。

 原発が爆発してから脱原発派になった人は根拠がないものを信じなかったのではないのだろうか?しかし一本化すれば勝てる、脱原発選挙で原発の再稼動が止まる、という言葉を信じた人が多かったのには驚いた。マスコミが脱原発選挙といってあおったのも影響したのかもしれない。もっといえば脱原発派が思考停止した可能性がある。脱原発派を批判してはいけない、仲間なんだから。どっちかを批判することはタブーになった。だから考える力を失わせた。佐川急便事件があるが脱原発派は叩けないから批判は来ない。考えることすら奪うとなると民主主義とはいえない。米国の民主党の候補者選び選挙のときは言いたい放題、大統領選挙でもそれを交わす訓練になる。でも日本の場合何も言わないことがいいようになると、全く議論にもならない。もう既にマインドコントロールされて民主主義ではないことが色んな部分で出ている。

 一本化の動きは選挙終盤にも出てきたが、俺は告示日前の21日に、負けたら細川側に難癖つけられるから、脱原発を前面に出さないほうがいいですよと宇都宮氏宛てにつぶやいた。
 細川側の脱原発派は脱原発選挙といいつつ、その芽を自ら摘んでしまっていることに選挙が終わっても気づいていないのが多い。
 脱原発の旗を降ろす様に見えるとイメージが悪くなるが、一本化で降ろされそうになったり、細川側が僅差で舛添に負けたりすると、一本化しとけばよかったんだという難癖が宇都宮側に来ると、支援者にも相当な心的ダメージになる。だが前面に出してなければ、脱原発で戦っていないといえる。こういうことが出来たのは共産党がついていたから。共産党は中途半端な脱原発法にも反対した筋金入りの脱原発派だ。だからあえて脱原発を前面に出さなくても脱原発であることはわかる。他の政党がついてたのでは脱原発といっても信用されないから、こうして前面に出さなくてもすむというのは大きい。宇都宮氏が最初の世論調査で脱原発票で獲得しているのは全体の1%台。得票数にすると10万票にも満たない。この前面に出さないという方法は選挙結果でもよかった気がする。細川側は脱原発選挙と言ってたからその責任を問われるが、宇都宮側は脱原発で戦ってないから、選挙で負けても原発再稼働に反対できる。さらに言えば都民が脱原発を最大の争点にしていなかったことも、宇都宮側が臨機応変に対処したことで、票の掘り出しに成功した。これこそが民主主義ではないだろうか?自分たち の主義主張だけを押し付けるのではなく、都民の意見を聞き、それを取り入れ、政策に生かしながら、自らの主張も織り交ぜる。

 今回のことで宇都宮氏が選挙で敗れたが達成感があるという発言したことで細川側から批判が来ているが、まあ一本化であれだけ批判するのだから難癖が来るのは想定済み、そうじゃなければあそこまで難癖つけられないだろう。散々宇都宮氏では勝てないだの、宇都宮氏は降りろだの、ネガティブキャンペーンを張られた。投票率が50%にも満たない中、それでも努力して前回の得票数を上回った。舛添には自公がついていて大きな組織表があり、株価も1万4000円台、舛添は元々人気があるから選ばれただけ。だから舛添が勝つのは普通に考えて当たり前。細川だって安倍政権の前まで政権を持っていた民主党や芸能人の多くがついている。田母神だって60万票もとったのはやはり元都知事の石原慎太郎や維新の会がついていたからだろう。そうした中で得票数を伸ばしたのだから宇都宮側がポジティブになるのは当たり前。むしろ胸を張っていいし、細川側についた脱原発派と無理して合流してイメージを悪くしたり、分裂して3分割になるより、宇都宮側だけでとりあえず団結力を高めた方が、後々一本化などの分裂圧力を考えればプラスに働く。すべての政策で宇都宮氏を支持することはな いだろうが、それでもあれだけある政策の中で3個くらい同じ意見があれば、まとまって行動を起こせると思う。宇都宮側は最大のピンチをチャンスに変えて、うねりを起こした。ネガティブになる必要はどこにもない。むしろポジティブにこの流れを維持して、さらに拡大していけばいい。宇都宮側は脱原発以外の仲間も手に入れたのだから。



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